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東京農業大学自動車部 blog

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0714

第三回 速さより勝りしもの~カ―ブレイクラリーで魅せた日本車の意地~  

久々のコラム第三回。サボっていたわけではありません。ネタ探しに明け暮れていただけです。
さてさて、今までマルティニカラー、ジルとディディエというネタでお送りしておりましたが、今回は我が日の丸が強さを見せましたあのサバイバルラリーです。
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1995年見事優勝を果たしたセリカGT-four(ST185)
それはズバリサファリラリー
かつてWRCのカレンダーに組み込まれていたアフリカの大自然を相手に繰り広げられ、速さはもちろんのこと何よりも壊れないことが重要の戦い。
このイベントでは普段優勝争いに絡まない車がトップだったりと非常に面白いラリーなのです。そんなイベントに目をつけたメーカーがありました。
それが日産、トヨタ、スバルの日本メーカー。(実はマツダもファミリアでWRCに出ていた経験有り。三菱はパリダカがメインでWRC本格参戦はランサー2000から。しかしアジパシも出ていたためスキップすることもあった。)
ここで日産の文字を見て不思議に思った方もいるでしょう。実は当時ラリーの日産と呼ばれており、テストドライバーには星野一義、長谷見昌弘といった追浜部隊のエースがエビスサーキットで行っていたのです。しかもラリードライバーよりも速かったというから驚き。その理由は次の機会に。
そもそも何故ラリーだったのか。何故サファリだったのか。理由は単純です。
頑丈性をアピールし売り上げを伸ばそうとした。
60年代当時欧米諸国で日本車と言えばF1に出ていたホンダくらいしか知名度はありませんでした。
しかしサファリで日産がデビューしブルーバードで優勝を飾ると徐々に知名度が上がり、
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後に出たフェアレディzは大人気に。
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1973年優勝車、ドライバーは日産ラリー史では切っても切れない存在である故シェッカー・メッタ氏

国内でもサファリでの勝利を宣伝していたため国民のほとんどがサファリを知っていた時代でありました。(何と素晴らしい時代だ)
写真を見ればわかりますが、左フェンダーがない以外にもボディにへこみがあったりと車へのダメージが相当高いことがうかがえます。
そんな過酷な環境で大きなマシントラブルなく完走し、しかも優勝したとなれば有名にならぬ訳がありません。売上のネタに持ってこいと言えたわけです。
それ故に速さを求めすぎたがゆえ死亡事故が発生し消滅したグループB時代でもサファリ最速はこの
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セリカツインカムターボと故ビョルン・ワルデガルド氏でした。
気がつけばもうすぐワルデガルド氏がなくなって一年が経とうとしています。全日本の新城ラリーではこのセリカでデモランを披露していたのですが、もうその姿を見ることができないのは悲しくなります・・・
そして同時期のグループAでは・・・・
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プレアデスが輝いておりました。この技術が5回転しても走り続けるレガシィ(1991年1000湖ラリー)に、そしてインプレッサに続く訳なのです!
そしてサファリ4連覇を達成したのも日本車。しかし、トヨタでも、スバルでも三菱でもありません。そのメーカーとは・・・・
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日産バイオレットと故シェッカー・メッタ氏
バイオレットはブルーバードの姉妹車でもあります。
詳しくは三栄ムックより出版されておりますラリーカーズ最新号ダットサンバイオレットをご覧下さい。(もちろん筆者は買ってますb)
欧州のスプリントラリーではなかなか勝てなかった日本車の見せ場ともいえたサファリでありましたが、現在では行われておりません。治安や内戦だったりといった状況では困難であるということになったのです。同じ理由でパリ-ダカールラリーも舞台を南米に移し、名前だけ残っている状態になっています。
まだまだ伝えきれない事がたくさんあるのですが今回はこの辺で。

Posted on 2015/07/14 Tue. 00:41 [edit]

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