東京農業大学自動車部 blog

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第四回 F1の個性派たち~メモリアル・ドライバーズ編~  

今年もあとわずかとなりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
おなじみインフルエンザについて特に触れられてませんが、去年の自動車部パンデミックのおかげ(?)なんですかねぇ・・・・
(ちなみに私も去年かかりました)

今年最後(かもしれない)になります忘れ去られし(てか見てる人いるのこれ)このコラム。
当人もすっかり忘れてたすごく空気感出てますが、今回はこのお題をチョイス。
その内容は・・・
記録より記憶に残りしドライバーについて。
どんなスポーツであれ、記録を見るとパッとしないが起きた出来事や印象強い方というのは少なからずいるはず。
ならば、その方々をピックアップして見ようではないかというのが今回のテーマ。
この中にあなたの知っている人は何人いるでしょうか?
まずはこの人。

アンドレア・デ・チェザリス(1954~2014)
1917176.jpg
未勝利でのF1200戦出場、”クラッシャー”で有名なお方。優勝に手が届きそうなのに運に見放され悔しい思いを何度したことでしょうか。1991年ベルギーGPではセナを捉えようとした瞬間にエンジントラブルによって2位を失ったりというなんとも悲しい展開を経験したりしています。またマールボロの支援を受けていたドライバーとしても有名。
また彼は走りと裏腹にプライベートではすごくいい人だとも言われていました。
そんな彼は昨年のF1日本GPの日、イタリアでバイク事故により亡くなってしまいました・・・
次はこちら。
エリオ・デ・アンジェリス(1958~1986)
deangelis1981watkinsglen2.jpg
こちらもイタリアのお方。貴族の末裔という血筋で、趣味のピアノはプロ顔負けの上手さでありテレビでも披露したことがあるほど。
コーリン・チャップマン在命時に最後の勝利を捧げたドライバーでもあり、1985年にはアイルトン・セナのチームメイトとして、とても有効な関係を築いていたといいます。
しかし翌年ブラバムに移籍しますが、テストでのクラッシュが原因で28歳の生涯を終えることになりました・・
その際、ナイジェル・マンセルは「彼は友人だった」と述べたといいます・・
次はこの御方。
ベルトラン・ガショー(1962~)
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最初に述べたチェザリス氏と1991年ではチームメイトだったガショー。(ジョーダン)予備予選組という予選に入れるかの瀬戸際を経験しまくった結果実力をつけたのはいいのですがある出来事により彼はシーズン途中で解雇されることになります。
それはガショーを知っている方ならご存知のスプレー事件。イギリスで彼は車で移動中(実はその時スポンサーとの会議へ向かっている途中だったらしい)、前に割り込んできたタクシードライバーと口論になり、相手が殴りかかってきたため「正当防衛」という理由で催涙スプレーを噴射、その行為でなんと有罪判決を受け刑務所に収監されてしまったのです。(後に収監については大使館を通じて謝罪されたとか)それによりジョーダンのシートを失い、翌年ラルースへ。しかしラルースはその時またも予備予選組だったというからMr.予備予選と言ってもいいのではないでしょうか。
そんな彼ですが、91年ル・マンではあのマツダ787B55号車のドライバーとして総合優勝したり、JGTCへの参戦経験もあるなど日本と大変縁のある方なのです。
次はこの御方。
ミケーレ・アルボレート(1956~2001)
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フットワーク時代では鈴木亜久里氏のチームメイトでありフェラーリ在籍経験のあるイタリア人ドライバーの一人。(他ロレンツォ・バンディーニ、イワン・カペリ)
丁度フェラーリ低迷期と自身のピークが重なり、ゲルハルト・ベルガーにフェラーリ久々の勝利を持ってかれたりと、中々結果に結べないまま移籍。その後は精彩を欠いたシーズンを過ごすことになってしまいます。
そんな彼は非常に義理堅い人であったといい、またフェラーリ入りを果たした理由にエンツォ・フェラーリの寵愛を受けたドライバーでも
ありました。(しかしフェラーリ時代にチームメイトであったゲルハルト・ベルガーは何で不機嫌なイタリアンばっかりと組まされるんだ?と思ってたみたいですが)
ヘルメットは尊敬するロニー・ピーターソンをモチーフにしていたことでも有名です。
F1を引退した後はル・マンで優勝するなどしましたが、2001年にアウディR8でのテスト中タイヤバーストによるクラッシュで命を落としました・・亡くなった後のF1ではティフォッシが喪章をつけミケーレコールがやまなかったといいます。
さてさて次はこのお方。

ロニー・ピーターソン(1944~1978)
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スウェーデン出身のドライバー。ラリードライバーのスティグ・ブロンクビストとは同郷出身(オレブロ)ということから大変仲良しであり、いろいろやんちゃしていたそうです(笑)
そんな彼はのあだ名はドライビングから「サイドウェイ・ロニー」と言われ、派手なスライド走法はみる人を熱狂させました。
またチャンピオンになれる素質はあったもののマシンの戦闘力が乏しいものばかりで戦わざるを得なかった悲運のドライバーでもあります。
ただどんなにマシンの調子が悪くても実力でどうにかしてしまうのでセットアップを出しにくいドライバーという評価もついております。それによりドイツGPで負傷したラウダの代役としてフェラーリ入りも噂されたのですが叶わぬ夢となりました。(しかしそのイタリアGPでは優勝を飾る)
また当時のFSWを走ったこともあります。
F1のみならずスポーツカーレースにも参戦した経験もあり何でも乗りこなせるドライバーでもありました。
そんな彼は最後のシーズン、勝てるマシンを手にいれチャンピオンの可能性を残した状態でイタリアGPを迎えますが、予選でクラッシュしてマシンを旧式に乗り換え決勝に挑むのですがスタート早々のクラッシュに巻き込まれ重傷を負い、病院で手術を受けたのですが、医療ミスにより容態が急変し手術の翌日帰らぬ人となりました・・・・
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真ん中で横たわっているのがピーターソン、黒のマシンに彼が乗っていた

当時はスウェーデンでもF1を行っていたのですが彼の死語は開催を中止。そしてマーカス・エリクソンがデビューするまでの間スウェーデンのF1ドライバーはグリッド上には存在しませんでした。
これによりチームメイトのマリオ・アンドレッティのチャンピオンが決まるということにもなったのです。
事故原因について当初はリカルド・パトレーゼがジェームス・ハントと接触したことが発端とされており、ハント自身亡くなるまでパトレーゼに関しては批判しかしなかったのですが後にその件に関してパトレーゼが原因ではなかったことが証明されています。(そのためハントのミスによって起きたと言われている)
そのハントも1994年に何度目かのプロポーズが成功した直後に心臓発作で亡くなっています。

本当はもう少し紹介もしたかったのですがあまりくどいのもあれなのでこれ程にいたします。
懐かしいバブルF1時代の話に花咲かせるもよし、日本にF1が上陸した時代にでもよし、セナのキャリア初期のネタに使うもよし。
皆様の話題のひとつになれば幸いです。
(タイムトラベルが可能ならそんな時代にいきたい筆者です)
では、よいお年を。

いつかティレルやラルースとかの特集組みたいです・・・

Posted on 2015/12/24 Thu. 02:30 [edit]

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