東京農業大学自動車部 blog

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第五回 孤高のイングランド人、早すぎる幕切れ  

なんやかんやで第5回目となりました。
自動車部員が飛びつきそうな話題ってなんだ?と自分自身でもよくわからない(オイオイ)時がちらほら・・・
某モータースポーツ誌に相変わらず熱中時代(古い)な筆者ですが今回はコチラをピックアップ。

1955383.jpg
以前紹介されたコリン・マクレーではなく、同時期に活躍しチャンピオンとなったリチャード・バーンズが今回の主役。
(写真左スバルのユニフォームがバーンズ、右フォードはマクレー)
このコラムを見ている人は大抵ご存じでしょうが、まずはプロフィールから。
生まれは1971年イングランドのレディング。WRCのキャリアは1990-2003年の間プジョー、三菱、スバルで活躍し、2001年にスバルでイングランド初となるチャンピオンとなり、(マクレーはスコットランド出身)2003年引退。その二年後に34歳の若さで亡くなったドライバー。通算勝利数は10。
彼の命日である11月25日は2001年彼の最初で最後のチャンピオンを獲得した日でもあります。
そんな彼のチームメイトは
トミ・マキネン、ペター・ソルベルグ、マーカス・グロンホルムといった、どれもチャンピオン経験者たち。
そしてライバルにはカルロス・サインツ、コリン・マクレー、ディディエ・オリオールといった名だたるドライバーがしのぎを削っていたグループA、WRカー時代のドライバーであります。
そんな彼のキャリアは17歳でイギリス選手権にデビューし、プジョーでRACラリー(現在のラリーGB)での完走から。
その後スバルを経て三菱へ移籍、98年のサファリラリーで初優勝を成し遂げますが、エースであるマキネンとの優遇の差に不満をもち、再びスバルへと復帰。
これが1999年のこと。序盤調子が上がらなかったが結果シーズン2位を記録し、翌年はバーンズがチャンピオンに優位と言われながら、最後の最後でマーカス・グロンホルムにさらわれランキング2位に。
そして2001年。シーズン1勝のみながら堅実にポイントを重ねた結果、念願のドライバーズチャンピオンを獲得します。
もしかしたら未勝利でチャンピオンとなった可能性もあることからこの時は大きな話題となりました。
20160513044607fb0.jpg
01年ラリーフィンランド

丸目のインプレッサでのチャンピオンと言われるとペター・ソルベルグを連想する方が多いでしょうがバーンズが先なんですよ。

そんな彼のキャリアは全盛期を迎え、翌年は初期のキャリアを支えたプジョーに移籍します。しかし、このあとに起きる悲劇を一体誰が予想したのでしょうか。
グロンホルムのチームメイトとして、またチャンピオン候補として迎えようとした2003年ラリーGB。しかしそのエントリーリストにリチャード・バーンズの名はありませんでした。何故か。
彼は病魔に犯されていました。
開催地への移動中、運転中に失神していたのです。(その際同乗していたマルコ・マルティンはこの事について一切公言しないと述べています)
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失神時彼の助手席にいたマルコ・マルティン
また彼はシーズン中ある記者に対し、「走行中に記憶を無くしているときがある」と語っていたと言います。
検査の結果、彼は脳腫瘍に犯されていました。当初はすぐに完治すると言われていましたが、検査を重ねた結果、脳腫瘍のなかでも極めて治療困難であると知らされ、彼のラリードライバーとしてのキャリアはここで終わりとなります。
その後も懸命に治療を続け、回復の兆しもありイベントに車イス姿で登場したのを最後に、2005年11月25日、家族や友人、そして最愛のパートナーに看取られながら、静かに息を引き取りました・・・
インタビューが苦手で自身の本心をうまく打ち明けれない一面もあった彼ですが、親しい友人は多くいました。そのなかでも冒頭に登場したコリン・マクレーとはしばしば比較され、マクレー自身もバーンズをからかうときもありましたが、仲は良かったそうです。そのマクレーはバーンズの死に対し「ラリー界にとても大きな穴を開けてしまった」と語ったそうです。(そのおよそ2年後に彼はヘリコプター事故で皮肉にもその大きな穴を広げてしまうことになってしまうのですが・・・)
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キャリア晩年、プジョー時代にフォードのマクレーと共に
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こちらはスバル時代。右端にはあのカルロス・サインツが!

さて、そのような悲しい幕切れとなったリチャード・バーンズですが、生前彼が監修したこのゲームで印象深い人は多いのではないのでしょうか。
20160513052703b46.jpg

リチャード・バーンズラリー
幼少期グランツーリスモ一筋の筆者は未プレイですが、ゲームではなくラリーシミュレーターといわれたほど完成度が高いそうで、一度は体験したいゲームであります。

彼が亡くなって10年がたち、当時シトロエンにいたセバスチャン・ローブは前人未到の9回のチャンピオンを獲得し、この舞台を去りました。
彼の一人舞台は、もう一人のセバスチャンが追いかけようとしています。
果たして彼を破るのは誰になるのか。
もしかしたらそれは、来シーズンから復帰するトヨタのドライバーか、今のライバルたちかもしれません。

Posted on 2016/05/13 Fri. 05:45 [edit]

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